学生へのお薦めの一冊 「三国志」
2011年09月05日
希望に燃えて大学に入ったけれど、高校のシステムとは一変して、大学生活で何をやったらよいか迷う新入生も多いと思います。教科では共通科目、専門科目とあり、どの科目を登録すべきか、何を勉強すべきか、判断に迷うと思います。これらは先生に相談するとか先輩、友人に聞くとかして、決めることが出来ると思います。
大学に入ったら、まず本を読むことをお奨めします。その1冊が「三国志」です。
三国志は、魏、呉、蜀の三国が割拠した時代の物語であり、曹操・孫権・劉備そして諸葛孔明等のヒーローが登場する中国の戦国時代の壮大なドラマです。時代を超え、多くの人に読まれている本です。最近では「レッド・クリフ」という映画が上映され、ヒットしました。
なぜ三国志を薦めるかというと、およそ歴史は繰り返されるわけであり、生きる知恵が凝縮されており、世の中の仕組み、人間関係、人の生き様、競争の仕方等が分かってくるからです。物語を通じて、歴史の法則性が見えてきて、これから生きる時の知恵を身につけることが出来るのです。
広く見渡してから、専門領域に入ることが大事であり、いきなり専門にはいると世の中、人生を鳥瞰できません。最近の若者は断片的な知識はあるが「生きる力」とか「人間力」が弱いと言われており、文部科学省も知識の土台である「人間力」の涵養を推進しています。
生きる力が弱くなった理由の一つに、子供の頃から学校、塾等で忙しく、群れて遊ばなくなったからだと言われています。遊んで喧嘩をする中から競争心、いたわり、思いやり、間合い等、生きる術を学び、社会性を身につけるのです。群れて遊ぶことは、いわば社会生活の予行演習になるのです。
時間を戻すことは出来ませんが、「三国志」を読むことによって、歴史の法則、社会の法則を理解し、前後左右上下を見渡して生きる人間、自分を客観的に認識し成長・発展のために何をすれば良いかを知り、それ実現する勇気を体得できるのです。
物語には、現代の政治学、経済学、歴史学、心理学、文学、科学等ありとあらゆる学問に通じる要素が内包されています。学生の皆さんに学問、研究する入門書として楽しく読める「三国志」を是非、お奨めします。
学長 富川 盛武
年賀状あれこれ
2011年01月24日
一月も下旬になっておりますが、新年初めての「ブログ」ということでは、やはり「あけましておめでとうございます 今年もよろしくお願い致します」と始めた方が良いでしょうか。新年ですので年賀状について日ごろ思っていることを書いてみます。
元旦に年賀状をもらうと嬉しいが、しかし、年末の忙しい中で年賀状を書くのは、時間的も厳しく、また私のような字の下手な者は書くのも億劫である。時たま宛先不在で戻って来る年賀状がある。そのとき自分で書いた年賀状の字を見て改めて自分の字の下手さを実感させられ恥ずかしくなることもある。子どもたちは字が好きで書道もやっているので、私よりも字が上手い。家族で私が一番下手である。いっそのこと年賀状を書くのをやめようかと思ったこともある。
ところが、年賀状は元気に頑張っていることを先方に伝え、日頃、会えなくとも年に一度の年賀状で人間関係が永く続くという素晴らしい一面がある。このような年賀状づきあいの方も年々増えてきた。私が年賀状でこの点に気づいたのは、大学院の時アメリカに遊学していた頃、同じ語学のクラスで勉強した仲間から30年経った今でも年に一度年賀状を貰うからである。実に嬉しいものであり、お互いの近況を確認できる。もし年賀状がなかったら、このような人間関係は続くのだろうか。だから下手な字でも心込めて書いて送ることにしている。でも私の年賀状からいったい何人に「心の込め具合」が伝わっているだろうか、と考えると・・・・・・である。
年賀状はその人柄も良く表れているような気がする。数年前自分の恩師に頼まれて沖縄での学会に来たある先生を案内したことがある。その先生から毎年のように年賀状が来るようになった。その年賀状は実に読んでいて楽しくて、ほのぼのとしている。私は年賀状に「一筆」書くのが精一杯であるが、その先生は野良猫でも拾ってきてペットにするぐらいの動物好き、世話好きであり、年賀状にも詳細に人間模様ならぬ「猫模様」を書いて送る。読むのが実に楽しく、年賀状が楽しみの一つにもなる。もうお顔も忘れてしまったが年賀状は続いている。
また別のおもしろい年賀状は、これから一年間の願望を政治家に負けないぐらい、ホラを吹く年賀状がある。最初はホラとも知らず、凄い信念の持ち主だと思っていたが、数年貰っているうちに単なる願望を並べていることに気づいた。でも単なるホラ吹き野郎だと思っても、そのホラが実におもしろい。この人からの年賀状も読むのが楽しい。私はその人には「今年も君がどんなホラを吹くかを楽しみにしながら新年を迎えました」と、一筆書いて送っている。
年賀状の中には、家族の近況・夫婦中の良さを感じさせるものもある。家族の暖かさが伝わってくる。このような年賀状を貰う度に来年こそは私も近況を詳細に書いてみようと思うのであが、その時期になるとほとんど毎年のように原稿の締め切りである。結局今年もそうであった。夫婦中の良さを年賀状のネタするために日頃から夫婦げんかを我慢するのも夫婦円満の秘訣かも。
素晴らしい沖縄の方言で書いた年賀状を必ず旧正月に送る方も一人だけいる。これもまた楽しい年賀状である。方言といえば、沖縄出身で沖縄大好きなある大学教授は、沖縄方言も大好きで年賀状の代わりに方言で長々と書いたお手紙を送ってくる。私も方言はぺらぺらであるが、方言で書かれた手紙は読むのに大変ではある。しかし、方言を話す方が少なくなった今日、他府県にいても故郷への思いからウチナーグチで手紙を書くこの郷土愛にも手紙を読む度に心打たれるものがある。
このように考えると、日本の年賀状文化も実に楽しいものである。私もこのように、先方にとって話題になるような年賀状を送りたいのであるが、なかなか時間もないが、まずおもしろい年賀状を創造するジンブンがない。素晴らしいジンブンに富んだアイディアがあったらこっそりと教えてください。
今年もみんなで力を合わせて学生満足度の高い大学創りをしようではありませんか。来年こそは「年賀状満足度」も高めて見たい。ご期待ください。決してホラではないですよ。
元旦に年賀状をもらうと嬉しいが、しかし、年末の忙しい中で年賀状を書くのは、時間的も厳しく、また私のような字の下手な者は書くのも億劫である。時たま宛先不在で戻って来る年賀状がある。そのとき自分で書いた年賀状の字を見て改めて自分の字の下手さを実感させられ恥ずかしくなることもある。子どもたちは字が好きで書道もやっているので、私よりも字が上手い。家族で私が一番下手である。いっそのこと年賀状を書くのをやめようかと思ったこともある。
ところが、年賀状は元気に頑張っていることを先方に伝え、日頃、会えなくとも年に一度の年賀状で人間関係が永く続くという素晴らしい一面がある。このような年賀状づきあいの方も年々増えてきた。私が年賀状でこの点に気づいたのは、大学院の時アメリカに遊学していた頃、同じ語学のクラスで勉強した仲間から30年経った今でも年に一度年賀状を貰うからである。実に嬉しいものであり、お互いの近況を確認できる。もし年賀状がなかったら、このような人間関係は続くのだろうか。だから下手な字でも心込めて書いて送ることにしている。でも私の年賀状からいったい何人に「心の込め具合」が伝わっているだろうか、と考えると・・・・・・である。
年賀状はその人柄も良く表れているような気がする。数年前自分の恩師に頼まれて沖縄での学会に来たある先生を案内したことがある。その先生から毎年のように年賀状が来るようになった。その年賀状は実に読んでいて楽しくて、ほのぼのとしている。私は年賀状に「一筆」書くのが精一杯であるが、その先生は野良猫でも拾ってきてペットにするぐらいの動物好き、世話好きであり、年賀状にも詳細に人間模様ならぬ「猫模様」を書いて送る。読むのが実に楽しく、年賀状が楽しみの一つにもなる。もうお顔も忘れてしまったが年賀状は続いている。
また別のおもしろい年賀状は、これから一年間の願望を政治家に負けないぐらい、ホラを吹く年賀状がある。最初はホラとも知らず、凄い信念の持ち主だと思っていたが、数年貰っているうちに単なる願望を並べていることに気づいた。でも単なるホラ吹き野郎だと思っても、そのホラが実におもしろい。この人からの年賀状も読むのが楽しい。私はその人には「今年も君がどんなホラを吹くかを楽しみにしながら新年を迎えました」と、一筆書いて送っている。
年賀状の中には、家族の近況・夫婦中の良さを感じさせるものもある。家族の暖かさが伝わってくる。このような年賀状を貰う度に来年こそは私も近況を詳細に書いてみようと思うのであが、その時期になるとほとんど毎年のように原稿の締め切りである。結局今年もそうであった。夫婦中の良さを年賀状のネタするために日頃から夫婦げんかを我慢するのも夫婦円満の秘訣かも。
素晴らしい沖縄の方言で書いた年賀状を必ず旧正月に送る方も一人だけいる。これもまた楽しい年賀状である。方言といえば、沖縄出身で沖縄大好きなある大学教授は、沖縄方言も大好きで年賀状の代わりに方言で長々と書いたお手紙を送ってくる。私も方言はぺらぺらであるが、方言で書かれた手紙は読むのに大変ではある。しかし、方言を話す方が少なくなった今日、他府県にいても故郷への思いからウチナーグチで手紙を書くこの郷土愛にも手紙を読む度に心打たれるものがある。
このように考えると、日本の年賀状文化も実に楽しいものである。私もこのように、先方にとって話題になるような年賀状を送りたいのであるが、なかなか時間もないが、まずおもしろい年賀状を創造するジンブンがない。素晴らしいジンブンに富んだアイディアがあったらこっそりと教えてください。
今年もみんなで力を合わせて学生満足度の高い大学創りをしようではありませんか。来年こそは「年賀状満足度」も高めて見たい。ご期待ください。決してホラではないですよ。
副学長 照屋寛之
卯年は「絆」の年
2011年01月13日
謹んで新春のお喜びを申し上げます。さて、今年は卯年です。「卯」とは、「漢書」「史記」によると、元々「覆う」「繁る」を意味するそうです。逆風を吹き飛ばし「さらなる跳躍・発展」の1年にしたいと思います。
私の年末から新年に掛けての楽しみの一つに、メディアの旧年の総括と新年の展望の諸解説を読み、今年1年の動向を占うということがあります。読んだいくつかの論説を紹介しつつ、一緒に今年の運勢を科学的に占ってみましょう。
世界経済 2011年の焦点(日経1月4日)に、目を引く記事がありました。
百年に一度と言われた大不況の原因となった金融危機について、「儲けは自分のふところに入れ、損は社会に押しつけるという制度を直さなければ金融危機はまた起こる」という国際通貨基金(IMF)の専務理事D・ストロスカーンの言葉であります。現在の金融セーフティネットは十分ではなく、各国の「協力の不足」を是正する公平な金融制度が必要であると主張しています。
NHKは年末に「無縁社会」を放映し、地元新聞は新年から「絆」の特集を載せています。
政府も人と人を繋ぐ「新しい公共」を提案しており、沖縄県の21世紀ビジョンにも「沖縄らしい自然と歴史、伝統、文化を大切にする島」「千年悠久の人間に優しいまちづくり」が謳われています。
今年が希望に満ちた良い年になるには、ほころびた人間関係を修復し、人と人の絆を強めることが不可欠であると、解釈できます。人は一人では生きられず、お互いに助け合って、社会が成り立ち、発展するということを再認識しました。
今年はまず、身近な人との友情を確認し温め、友達の輪を更に広げていきたいという心境になった新年でありました。
学長 富川盛武
「こころ」考
2010年11月04日

皆さん、「こころ」ってなんだろう。
いったい私たちの体のどこにあるのか、宿っているのか、疑問に思ったことはありませんか。特に最近は「こころ」の病で心療内科を訪ねる方が年々増えている。私はどういうわけか、幼少の頃から「こころ」って何だろう、とよく考えたものである。精神とはどう違うのだろうか。いろいろ考えれば考えるほど難しくなるものだ。
そのような疑問を持ったまま、30歳の頃、琉球大学の教育学の玉城政光教授(当時)のスキナー研究会(人間の行動は何によって影響されているのかについて考える「行動工学研究会」)に縁あって参加する機会に恵まれた。最近までよく研究会をやって人間行動について勉強したものである。これまでの人間の行動についての私の考え方・固定観念はことごとく打ち砕かれたが、その中で考え方がほぼ一致したのは「こころ」に対する考え方であった。
私自身、心は行動ではないだろうかと考えていた。幸いにも研究会の勉強でも心は行動であるいう考え方であったので意を強くしたものである。そのことを日常的に何気なく使っている言葉の中から考えてみたい。「こころ・心」の入った言葉には、親切心、探求心、熱心、愛国心、依頼心、良心、親心、老婆心など挙げれば切りがない程よく使われている。親切心が強い人は親切という行動を頻繁にやっている人のことであり、探求心は物事を探求している行動の強い人であり、熱心は物事に熱中している人間の行動を形容している。このように心は行動である。
あるいは学問の世界でも心の探究はやまない。心理学という立派な学問体系もある程だ。学問の世界、日常生活、人間関係で心が頻繁に使われるにもかかわらず、いったい心はどこにあるのだろうか、と問われると答えに窮するのは一般的である。私は幼少のころ、心は心臓にあると信じて疑わなかった。なにしろ、びっくりしたときや不安になった時には心臓がドキドキするのでそう思うのは当然かもしれない。また我々は、反省するときには「胸(心臓)に手を当てなさい」とよく言われたものである。このように考えると、心が心臓に宿っているという考え方にはかなり説得力があった。今でもそのように思われているのではないでしょうか。
しかし、よく考えてみると心とか精神は実態概念ではなく、体のどこにも宿っていないのではない。つまり物事に対する考え方・行動ではないだろうか。心という実態はなく、関係概念であり、最近では学問の世界でも心という言葉は使用頻度が少なくなったのではないだろうか。心理学は人間科学といわれるようになっているのもそのことと関連しているのではないだろうか(間違っていたらご容赦ください)。教えていただければ有り難い。
次回は人間の行動について考えてみたい。
照屋寛之(沖縄国際大学副学長、法学部教授)
自己を磨き人生を開花させよう!(入学式式辞)
2010年04月01日


春うららかな今日の良き日に新入生諸君を迎え入れることが出来、喜びに堪えません。
ご入学を教職員一同、心より歓迎いたします。ご父母の皆様のお喜びもいかばかりかと推察いたします。
さて、本日より諸君は、大学生、大学院生としての生活がスタートします。存分に学問研究に勤しみつつ、キャンパスライフもエンジョイしていただきたいと思います。
(学問の意義)
教育基本法によると、大学の目的は「大学は学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授、研究し、知的、道徳的及び応用能力を展開させることを目的とする(学校教育法第83条 目的)」とあります。
学術とは、学問とその応用を意味する言葉であります。大学は知識も授けますが、もっと大事なことは知恵つまり英知をつけることです。
知識という要素を紡いで立体的に論理化するのが知恵であります。断片的な知識だけでは知恵は生まれません。
知識を真・善・美追求の法則に則り立体的に組み立てることが知恵つまり英知です。
大学の学問体系は英知の涵養を目的に成り立っています。時代を遡った古典の世界、専門以外の他の領域等、一見遠回りに思えることを学ばせるのは、英知の確立のためです。
文明の利器がどんなに発達しても、最終的な判断は人間が行わねばなりません。判断力を涵養し、人間力を付けるのは学問です。
「理性は神が魂に点火した光なり」とアリストテレスは「修辞学」で述べています。つまり、学問は理性を通じて人生を花咲かせるためにあると思います。
人類有史以来受け継いだ英知の累積をたかだか100年以内の寿命では会得できません。そこで、英知のエキスをカプセル錠剤にしたのが学問であると思われます。その錠剤を吸収することによって英知を体得し、自分の人生に活かし、さらに次の世代にバトンタッチできるです。歴史上、人類は幾多の危機に瀕してきたと思います。しかし、学問に立脚した英知によって、その都度克服されてきました。
個人の場合も同じだと思われます。人生には幾多の大波があります。それを乗り越え、切り拓く力は英知つまり学問であります。マスメディアが伝える断片的な情報に目を奪われることなく、事象、現象の動きを、しかと見て、そこにどのような法則性が見いだせるかという科学的思考に基づき原因と結果の「メカニズム」を悟ることによって、問題解決の方向が見えてきます。
さらに学問を通じて真・善・美を追究することは人間を昇華させ、生きる喜びを覚え、有意義な人生を送ることにつながります。
(夢の実現と大学生活のエンジョイ)
本学は「学生中心主義」を基本に据え、宝石の原石である新入生を、学問、県有を通じて、発芽するまで磨き上げます。出来るだけ丁寧な教育に努めます。
新入生諸君も大学生活を実りあるものにするために、卒業後の人生設計をすることから始めて下さい。自らに適した職業を早めに探し、そのために、どのような科目を取り、何をするべきかを考え、戦略を練れば夢は達成されます。4年後または2年後には就職または進学が決まっていることを望みます。大学で新しい出逢い、発見を通じてエンジョイすることを忘れず楽しく有意義な大学生活を送って下さい。
学長 富川盛武



