英知の学舎(にわ)で
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沖縄国際大学で人間力を向上させ、末永く続く友情の絆を結ぼう!

2012年05月16日

 沖縄国際大学は平成24年2月に創立40周年を迎えました。地域に根ざし世界に開かれた大学を目指して発展して参りました。4万8000人余の卒業生を送り出し、多くの皆さんが県内外で活躍しています。沖縄国際大学は更なる発展のために新たな一歩を踏み出します。地域・沖縄を動かし,グローバル・国際につながる人材の育成を目指します。
 人類が他の動物と異なるのは、人間が過去・現在・未来の時間が認識できることです。学生の皆さんは大学卒業後の自分を考えることができます。人類は誕生以来、技術や知識を蓄積してきました。その技術や知識を将来世代に受け継がせていくことが教育の基本です。人類は、約1万年前に農業技術革命を、18世紀後半に工業技術(産業)革命を、21世紀の今情報通信技術革命を起こしています。これら技術革命を可能にした膨大な科学知識を蓄積しています。現代のグローバル社会は膨大な科学技術知識を駆使して動いています。現代人は地球規模で考えて地域で行動することになります。個々人が、宇宙、地球、生命、生態系、人類社会の文化、法、政治、経済、その他全ての知識を習得することは不可能です。しかし少なくとも基礎知識と判断力は自分のものにしなければなりません。さらに現代人として社会に貢献していくためには、自分が関心を持ち得意とする分野を決めて,より専門的な知識を習得することが不可欠です。
 沖縄国際大学は社会科学・人文科学を専門とする4学部10学科で、皆さんが「専門性ある教養と判断力」を習得することを支援します。県内外から多くの学生が集まります。県内外の多くの協定校があり国内外留学ができます。奨学金制度も充実しています。
 皆さんが沖縄国際大学の教育環境を十分に活用し、皆さん自身の人間力向上と共に、末永く続く友情の絆をしっかりと結ぶことに努めて下さい。教職員一同、皆さんの努力を支援することをお約束します。
                         
学 長  大城 保
  
Posted by 沖縄国際大学4役員 at 09:55TrackBack(0)学長コラム

「言葉の力」と「自然を畏れる心」

2012年05月08日



 竹富小学校5年生の頃、頭痛がつづいた。朝起きると、頭が痛いので学校を休む。午後に頭痛は止まるが、翌朝また頭が痛くなる。それで、石垣島の病院へ行ったが、医者は「何ともない」という。しかし、頭の痛い日が数ヶ月もつづいた。心配した婆さんが、「医者で治らないなら、ユタに行こう」と、石垣島のユタのところへ私を連れて行った。ユタは「あなたは屋敷神を祀るジージョンに生えている木の枝を斬ったため、神様から罰を受けている。ジージョンの神様に詫びないと頭痛は治らない」と教えてくれた。確かに、私は親戚のジージョンに生えていた桑の枝を斬ったことがあった。
 竹富島のツカサ(司=神女)を招き、ジージョンの神様にお供え物を捧げて数名のお婆さんや母親とともにお詫びの祈願をした。お供え物にはテンプラやお菓子などもあった。お祈りが終わると、大人たちとともにお供え物をいただき、お神酒もいただいた。大人たちは「これであなたの頭痛は治ったよ。よかったね」と口々に言った。そして、その言葉どおり、翌日から頭痛はピタリと止まって、元気に学校へ通うようになった。それ以後、私は頭痛に悩まされることはなかった。
 私の頭痛が神罰であったかどうかを証明することはできないが、ツカサによる厳粛なセレモニー(儀式)と、周りの大人たちの「治った」という言葉のおかげで完治したことは事実である。言い換えるならば、ユタのお告げも、厳粛なセレモニーも、「治った」という言葉を引き出すための手続きであり、私は大人たちの「治った」という言葉の力で完治したのだろうと思っている。
また、このジージョンには、大きな黒檀の木がある。三線の材料となる立派なその大木は、子どもの頃「モノを言う」といわれていた。しかし、私は木がモノを言うことなんかあり得ないと思っていた。それから30年後、そこの爺さん婆さんも亡くなり、その家に住む人もいなくなった。そして、そのモノを言う木を三線にするために買いたいという人があらわれた。三線を何丁もつくれる立派な黒檀の木は高い値段がついた。
 ところが、木の傍には電線があり、そのまま斬ると電線にかかったり屋根瓦にぶつかったりするので、石垣島からユンボを船で運んで、数名の人夫を雇って斬ることにした。そして、この木をロープで縛って斬ろうとしたとき、その木は「斬るな」と言ったという。みんなビックリして、斬るのを止めて詫びを入れた。いまでもその木は健在である。
 私は、その場に居合わせていなかったので、その木が「斬るな」と言ったのを聴いていない。また、その木がモノを言ったかどうかを証明することもできない。しかし、その場に居合わせて「斬るな」という言葉を聴いた人たちは、自然を畏れる心を持っていたので、その言葉が聴こえたのであろう。
言い換えるならば、我が沖縄の神話・伝説・昔話・世間話などの多くは、「言葉の力」を信じ、「自然を畏れ敬う心」を背景として語られているように思われる。
                                   
                                     副学長 狩俣 恵一  
Posted by 沖縄国際大学4役員 at 13:10TrackBack(0)副学長コラム